花束のような映画の話。

NETFLIX 映画『余命一年の僕が、余命半年の君と出会った話。』をみて

 

 「もうすぐ死ぬと分かっていたら何をしますか」

「期限付の恋」「SNSで泣けると話題」、そんなふうにうたわれていて。

 数年前の私だったら、きっと好んで見る作品ではなかったと思います。

いつからだったのか。

純愛、青春、恋愛、そういう括りのキラキラした物語が何となく苦手になりました。

誰に、どこに、感情移入するのが正解か。そればかり考えて、上手く入り込むことができないような気がしていました。

 今回も、永瀬廉さんが主演だから見ようと思いましたが、ちゃんと観れるか少し不安でした。けれど結果として、杞憂でした。

 

 内容が内容ですから、ハッピーエンドだともバッドエンドだとも、そんな明確に述べられるわけがありませんが。

私は、思いがけず花束をもらった時のような、そんな気持ちになりました。

驚くけど嬉しくて、貰った瞬間に心が弾んで、その後も見るたびに癒されて微笑んで、枯れる姿は淋しくて、でも花束をもらった事実を思い出すたびに励まされる。

私にとって、花束はそういうイメージです。

 

 映画の中にはガーベラとその花言葉が出てくるのですが、

秋人くんは最初、何気なくお見舞いに花束を選んだかもしれません。

数あるお花の中からガーベラを勧めてくれたのもお花屋さんだったし。

でも、春奈ちゃんは喜んでくれた。

その笑顔と、ガーベラはよく似合っていた。

その事実が、秋人くんにとっての「花束」だったのだろうと感じます。

 

 内容をネタバレしないように書くのが難しく、何とも安易な感想になってしまうのですが…

この物語の中で、登場人物が実際に生きた時間にも、あとから明かされる秘密にも、「恋」も「愛」も「友情」も至るところに確かにあるのですが。

その形や幅、深さなどは様々で、色とりどりで。

そう。春奈ちゃんや秋人くんの描く絵のようです。

余命という期限や、枠はあるけれど、

その中でどんな色を選ぶか、選んだ色を活かすのか、重ねるか、何を削ぎ落として、どこへ向けるか、誰へ届けるか。

組み合わせや取り合わせは幾通りもあるし、そのどれもが、生きる証。

2人の絵と3本のガーベラ。

それは決して、秋人くんと春奈ちゃん、2人がお互いだけに向けたものではなかったのだと思います。

思いがけず届いた花束のような。そんな映画でした。