「東京タワー 」「95」を観て…

東京タワー

 中学高校生の頃、江國香織さんにハマって小説を次々読んでました。

もちろん『東京タワー』も読みました。

でも自分が年齢以上に幼かったのと。

「不倫」の文字通りの意味は知っていたけど、いや知っていたからか、面白いとは感じられなくて、

印象にも残らなかった。だから映画も観ていません。

 

 永瀬廉さん主演の「東京タワー」。

廉さんがこだわると言っていた通り「綺麗」でした。

SNSでは「苦しくて見られない」という意見も目にしましたが、私はそんなふうに感じることはなくて。

その辺りが、私の欠落している部分なんでしょうね…

欠落していても、年齢を重ねたのは事実で、今なら分かります。

恋愛に限らず

点の繋ぎ方は一通りではないこと。

文字通り、の奥底にあるもの。

理由や理屈から始まらない道なき未知。

曖昧模糊とした、明確な輪郭のないものごと。

機微。

 「楽しみ」の一言で片付けるのも違うように感じますが

この先にどんな世界が広がるのか、見届けたいと思っています。

 

 あとドラマの本筋とは離れるのですが。

個人的に、廉さん演じる透くんが「吾亦紅」を知っているところ、不意打ちでくらっときました。

会話の中に何気なく「吾亦紅」が出てくる大学生…それだけで惹かれるものがあります。

 

 おこがましい上に、上手く言葉にする術を持たないのですが。

俳優・永瀬廉さんは、役の体温まで纏ったような演技をするのが凄いなと思います。

纏うものは体温に至るまでに何層もあって、その全てにグラデーションがある。

グラデーションごと纏える俳優さんであり、

でも同時に、纏っているだけだから、核には「永瀬廉」さん個人がいる。

体温が感じられるところまで寄り添って、その体温ごと纏うけれど

だからといって飲み込まれてしまうことはない。

廉さんの演じる役の説得力は、そういうところから来るのではないかと思っています。

 

95

 「東京タワー」の話を先にしましたが

もちろん高橋海人さん主演の「95」も観ています。

海人さんが以前Instagramで「心のくすぐったさ」と書いていたのが印象的で。

ドラマ見てると、その言葉の本意に触れている気がします。

海人さんの言葉選び、秀逸です。

 95年、阪神大震災地下鉄サリン事件が起こったその年。

私はまだ小学校低学年でしたし、住まいは関西でした。

加えて子供の頃から私は能天気で、良くも悪くも、周囲の空気を敏感に察知できるタイプではありませんでした。

だから、高校生のQたちの抱えた「自身を取り巻く得体の知れない捉えどころのない焦り」みたいな

そういう心情を、実際の95年に体感したわけではありません。

それに、仮に私が95年に渋谷の高校生だったとしても。

「得体の知れない何か」に真っ正面から向き合うだけの熱量や心意気を、私は持ち合わせていなかったでしょう。

持ち合わせていないことに気づかずに、あるいは気づかないふりをして、

ただ時をやり過ごしただろうと思います。

だからQたちとも出逢わなかったでしょうけど、でも、出会ってみたかったな。

まだ始まったばかりのドラマを見ながら、そう感じています。

 

 また、おこがましいことを申します。

俳優・髙橋海人さんは、演じている時、そこにいない。

いるのはただ「役」その人のみ。

これもまた凄いことだなと毎度驚かされます。

「憑依」という表現も個人的にはあまり好きではなくて…

役が憑依するというよりもむしろ、海人さんが意を決して役に飛び込んでる、そんな印象です。

怖いだろうなと想像します。

あえて俳優・髙橋海人としての制御を外すなんて。

役を生きて、役に成り代わって心身すり減らして、

それでもちゃんと「髙橋海人」さんに戻れるのは、培ってきた地盤と自負があるから。

 

 

 ドラマの感想から、話を広げすぎました。

でも、とにかく今思うのは。

KIng & Prince、どこまで行っても恐るべしというか。

永瀬廉さん、髙橋海人さん、やはり誇るべき人たちです。