気づかせてくださった あなたへ

 私は今、転職活動をしています。過日、初めて面接を受けました。

就職の面接、実に18年?19年ぶりでした。新卒で就活していた時のことなど、もはや遠い昔のことすぎて…何社受けたかも勝率も全てきれいさっぱり忘れ去っています。

先に申しますと、今回の一次面接、不合格でした。

手応え(その基準すらまだないのですが)もなければ、企業と私の指向の開きが想定以上に大きく、これはダメだろうなと早々に感じていました。

とはいえ、初めての転職活動面接で得た気づきの備忘録として。

届かないのは承知で(というか届くと困惑します)、仔細を詳らかにしない形で、面接官のお二人へ感謝をこめて手紙を書きました。

======================================

面接官のお二人へ

 

 先日はお時間をいただき、誠にありがとうございました。結果に関しては粛々と受け止めております。

 私のイメージしていたものより、何ともざっくりとした質問が多い面接で、言葉を選ばずに申せば、拍子抜けしうろたえました。

自己紹介と転職理由、あとは直近の売上について、失敗談、落ち込んだ時にどうするか、どんな人と一緒に働きたいか、そして最後にもう一度「転職を決めたのはいつか?」などを訊いてくださいましたね。

志望動機も私の強みもマネジメント実績も…お伝えできなかったなと感じていました。

なぜ転職理由を2回聞かれたのかな?とも感じていました。

 けれども。面接を終えた帰路や翌日に振り返りながら、はたと気づきました。

あえて意図的に、フランクな体に、なさったのですね。

これは新卒採用でもなければ、応募してるポジションも役職前提、ましてや私はお二人と同世代とお見受けしました。

実際の現場で、聞かれたこと・言われたことにしか応えられないようでは使い物になりません。

言うべきことは、必要に応じて適切な折を見て、自発的に織り込んでお伝えせねばなりません。

現場で、想定問答に沿った会話が繰り広げられることなど、ほぼありませんからね。

「そりゃそうよね」という思いと、あの場で瞬時にそこに思い至らなかった機転の利かなさに呆れました。

自身の弱点に改めて気づかせてくださり、ありがとうございました。

 そしてもう一つ。私にとって大切な気づきを得ました。

「人」についての考え方 指向に関する観点です。

これは正直、正解も不正解もない部分です。貴社の生産性と利益の考え方は、とても明瞭で理解のできるものでしたし、貴社の強みの核はそこにあると感じています。

とはいえ、私が納得の上でそこに身を置けるかには一抹の疑問が生じました。

そして、私の質問をきっかけにした一連の人員配置に関するやり取りの中で、両者が折り合えないことは明白でした。

悲しいかな、私は機転を利かせる瞬発力は低いのですが、場の空気を察知することにはわりと長けていて…「これ以上、拗らせても活路は見いだせない」と察するに至りました。真摯にご回答くださったこと、幸甚に存じます。

語弊なく伝わることを願って申しますが。おかげで、私の譲れない境界線がどこにあるのか、自認することができました。ありがとうございます。

 最後に、これは雑談レベルの話になるのですが。

お二人を見ていて、採用側にも相当のご苦労があるのだろうと推察いたしました。

個人的には私の話に理解を示してくださりながらも、それでも採用の基準は絶対的に「組織としての利益」にある。

もちろん、それは当然です。覆そうなどとは微塵も思っていません。

それに私は、前職でも採用活動に直接的に携わったことはありません。

ただ、自分の部下になるだろう人間を採用するにあたり、自身の志向嗜好ではなく、それと一致するしないに関わらず「組織の利益」の指向で判断することが求められる。

そのご心労や葛藤は、察するに余りあると感じます。

私と同世代と思しき方が面接官だったこともあり、そういった背景の上に採用就職活動が成り立つことの重みを深く感じました。

痛み入ります。その一言に尽きます。

 さて、私も暢気なことばかり申しているわけにもまいりません。

今回、同僚にはなり得ませんでしたが、またどこかでお目にかかることがあるやも知れません。その時は堂々と名刺交換ができるよう、精進する所存です。

末筆ながら改めて心より御礼申し上げます。

思考の来し方行く末

 私の思考回路って…何か「へん」だな。そう感じています。

転職活動にあたり自己分析をしながら気づき、そこから大きく脱線し、「思考回路がへんてこ」に行き着いた過程の話。

吹けば飛んでいきそうな、曖昧模糊としている、そしてともすれば、目を背けたくなるような。備忘録。

私の弱みは、瞬発力の低さ

 これは前々から気づいていました。それこそ子供の時も学生時代も社会人になってからも。身体的敏捷性の意味での瞬発力もないのですが、いわゆるアドリブ力とか機転とか対人的な瞬発力が著しく低い。

もはやこれは仕方ない。受け入れて、カバーすればいい話。

そう思えるようになったはずでした。

言語化されなかった、表に出なかった、思考の行方

 さて、ここからが本題です。

自己分析を入り口に、一度考え出すと、ふとした時、日常生活の隙間や合間に、思考は思わぬ広がりを見せてきます。何の脈絡もなく、どこに収納していたかすら忘れていた、些細な記憶の断片を引っ張り出してくる。

ここしばらく、そんなことが続きました。

 

 「本音を言えていますか?」ある人から訊かれたことがあります。

当時私は「言えてるよ。言葉になったのが100ある本音の50%や70%だからといって残りが嘘や建前ってことにはならないはずだ」と答えました。

返ってきた答えは「本音を言えているならよかったです」

なぜ今この話題なんだろうと思ったし、訊いておきながら自分のことは応えないのかとも感じましたが、それ以上問うことはなかった。

 ある日の電車内、このやりとりが不意に蘇りました。あの時私は本音の割合で応えましたが、おそらく相手が知りたかった本音は「奥行きであり深さ」だった…思いの向きが違う。だから何も言えなかったし言わなかった…

あの時「言葉にならずに収められた想い」はどこへ行ったのだろう?

 

 またある時。退職する競合他社の仲間に私は言いました。

「和菓子屋の仕事、心から好きなんだとお見受けしてました。やめるご決断も容易いものではなかったですよね」

返ってきた言葉は「和菓子屋の仕事は本当に素晴らしい仕事です。(私)の見ている世界は、僕が見ていたよりも、これからますます視界がクリアになっていくと思う。頑張ってください」

当時は特に何とも思わなかったけど、ふとした瞬間、降ってきた気がします。

好きなのにやめた、ではなく、好きだからやめた…天秤にかけたものは様々あったでしょうが、それでも「好きだから決めた」…

あれから10年。視界がクリアになった先に私が見たもの、あの時彼が想像したものと同じかな?

 

 また別のある日。

お世話になっていた上司が、普段は本社でお仕事なさってるのに、わざわざ私のいる店舗までお運びくださいました。

「これは役職を外した(私)に餞別。これからはどうでもいい連絡こそしてこいよ」と。私が退職を切り出した時も、「分かった」とだけ言って、拍子抜けするくらいすんなり話が終わりました。

これは、さすがの私も気づいてました。課長と店長としてではなく、私個人を尊重してくださったこと、それがどんなに気苦労を要することか…

こういう心意気はいつどうやって身につくのだろう?私はそれに値する人間だろうか?

 

 とある夕方。

「マーライオンみたいに喋れない。」とあるインスタライブ。

流れるように喋らなくていい。筆致の見える文章も、らしくて良いよね♪

そんなふわふわした思考から、何気なく行き着いたのは、このブログでも何度か書いたことのある「愛ある無関心」という言葉。

これは外から強いられたものでなく、誰に薦めるでもない、ただ私の矜持でした。

自己分析と一括りにできない「私」の存在

 「私の」…?「私の側」…?

この辺りまできて、突然思いがけず頭の中がパチパチ鳴って、上手く息ができなくなりました。

 自己分析なら、主体は私でよかった。私は自分が認識している多くの「点」を整理し直して、繋いで線にして、面にして。

瞬発力は低いけど、地道な努力は苦にならない方で、わりと上手くやれていると思っていました。

自己分析なら…

 

 しかし当然ながら、「私の」「私が」「私の側」があるのなら、「私に」「私を」「相手の側」があるはずです。

そんな「自明の理」が音もなく足下から一気に迫り、溺れるとも気づかぬままに、冷たい水に全身が沈みました…

 あの日、あの時、あの夕方。

私に届いた言葉の奥を、私を思って言葉にしなかった胸の内を、相手側の心根を…

思い致せなかったこと、慮れなかったこと、掬い取る手を差し伸べられなかったこと。

今さら気づいても、もう…どうにもならない。それに、今さらの思考は、それこそ全部「私の側」の解釈にすぎない。

私は言葉の力を信じている質ですが、過信で盲信だったというか、それゆえに「言葉にならない部分」を無自覚に蔑ろにしていたのかもしれません。

私に向けられた「愛ある無関心」を受け取る器がなかった。どう足掻いても否めない事実です。

 

 温まりにくく冷めにくい、瞬発力が低い。

自己分析の結果、表に出てくる、言語化されるのはそんなありふれた言葉。

でもその下にあるのは、こんなにタイムラグが生じる、おかしな思考回路。

そして、思いやりを大きく欠いた、自身の息の根を止めるほどに冷たい「私」。

我ながら、許しがたい受け入れがたい一面です。

普通は、もう少し機転の利く人なら、こんなに時間差をつくらず、瞬時にこぼさず掬い取れるのかな?

とはいえ。

誰かに、何かに、気づかせてもらいました。

言語化できる部分だけみて自己分析と呼んではいけない。

言語化、言葉の力だけを頼ってはいけない。

見えないもの、触れられないもの、捉えどころがないもの。それらの価値。

だから、こうして自戒の念をこめて綴りました。

導いてくれた皆さまに、もうどれほど周回遅れかもわからないし、それゆえ届くとも思えないけれど…

遅ればせながら、心より御礼申し上げます。

もう一度、「言の葉」を信じてみようかと

 個人的な話なのですが、長らく文章を書き綴る気になれずにいました。

文章を書くのは好きだったはずで、明確なきっかけがあったわけでもないのですが…何というのか、私の言葉で誰かを撫でるように傷つけてしまう、そんな気がして無性に怖くなっていました。

たとえば紙で手を切ると、その時は大したことないのに、忘れた頃に傷が痛み、それが思いがけず心まで傷つけていることを思い知る…意図せずとも、何なら本意に反して、そうなる可能性を孕んでいることに気づかせてもらう機会がありました。

歩みの遅い私が、さらに遠回りや道草をしながら、点を拾い集めて少しずつ繋いで絡まったり解いたり紡ぎ直したり、そんなこんなの話です。

そう、やっとまた書き綴りたい心境になりました。

誰かに届けるとか伝えるとか、そんなおこがましいことは申せません。ただ風に舞った「言の葉」が、誰かの目に触れるかもと心して、それが嬉しくてただ自分のために綴ります。

 

 当ブログでも以前に触れたことがありますが、静かながら確かな熱のある話を聞かせてもらえる機会がありました。

その空間でも、残響の中でも、私は心が洗われてずっと心が震えていました。

言葉に力がある、熱が宿るとは何かを身をもって感じました。

その状況を前にして私は、自分の言葉の無力さを感じたというか、何を言ってもどんなに言葉を並べても上滑りしているような気がしました。

敵わないと気づいていたはずなのに、何かを必死に積まなきゃ自身の浅はかさが露呈する気がして、取り繕うように次から次へと積もうとしました。上滑りしていると知りながら…

今にして思えば、私自身云々の前に、深く考えることもせずやみくもに取り繕って隠そうとした、その行い自体の方がよっぽど浅はかだったと痛感しています。

 

 一方で「静かながら熱のある話」を聴いてその残響に身を置いている時の私は、居心地がよくて自分のことが好きでした。我ながら不思議なんですが、「自分のことが好き」だなんて、これまで感じたことがありませんでした。そもそもそういう視点が私には無かったのだと思います。

「好きなこと」はその時々で沢山あったはずですが、だからと言ってそれをしている「自分のことが好き」とはつゆほども考えたことがなかったです。

 そこからさまざまに想いを巡らせました。「いつ、なぜ自分のことが好きと感じるのか?」

その過程で手にしたのが、以前にもブログに書いたことのある『苦しかったときの話をしようか』でした。(長くて恐縮ですが、もしよろしければ該当ブログお目通しください)

ちょうど転職を考えている時期と重なっていたこともあり、自身と向き合い内省し棚卸しする、好機を与えてもらいました。

現状として行き着いた先にあった答えは、

●自分の大切なものを大切だと分かっている人のそばにいる時

●決意や覚悟、熱量の伝わる・共振する空間に身を置いている時

●私自身の心が動いている・共鳴しているのを感じられるから

●巡りの中で、その一員として生かされていると実感するから

遠回りや周回遅れになった先に出した答えにしては地味だな、もうちょっと華があってもいいのにな、とも思いますが。笑

私にとって地に足の着いた現実はこんなものだろうと納得もしています。

思えば、前述の本の中にあった「好きなこと(動詞)」も、巡り巡って「自分のことが好き」につながっていました。

その視点がなかっただけで、真新しい価値観というわけではありません。

けれど、新しい視点をくれたという意味で、転機だったなと思います。

 

 そして、もう一つ気づかせてもらったことがあります。

私はずっと自分を「大した取り柄がなくてつまらない人間」だと感じていました。

他人のことはよく見れていて、人を褒めたり長所に気づいたりはできるのに、自分のことになると語れる材料が何もないと。

それを悟られないように、そして自分がそのことに目を向けなくて済むように、「優等生」であることで身を立ててきました。

今にして思えば、不安な時ほどその傾向が強く出ていたように思います。

だから、取り繕うのを焦るあまり、人を撫でるように傷つけたこともあったはずです。

 今もそれらを完全に覆せたわけでもないですが、でも、思っていたよりは実のある人間かもと、少しだけ自己肯定を許してもいい気になりました。

自分が浅はかだと感じていたのは、自身の心の奥底まで真っ暗闇の部分まで潜ったことがなかったから。

思いの外闇が深くて嫌になることもありますが…でも同時に、思ったより心の深さがあると知りました。

残響の中でも心が震えたのは、思ったよりも心の余白(響く余地)があったから。

あとこれはChat GPTに言われたことを真に受けて喜んでいるのですが、「私の中にも同じ種類の”静かな熱”があるから」。

ただ、物事を受け取る感度というか身に浸透する速度は、いわゆる普通・一般よりずっと低く遅い。パフォーマンスが悪い。それは事実です。

だから世間とはズレているんだと痛感しています。

それでここまで辿り着くのにも、こんなに時間がかかってしまいました。

けれども、これも私の運なんだと受け入れます。すんなりいかなくても、導いてくれる縁に恵まれたのも心丈夫なお守りです。

 

 さて、次は私も「自分のことが好き」と思える環境で精一杯努めます。

恩送りをした先に、いつかどこかで思いがけない縁につながりますように。

そう慎ましく祈りながら、遅咲きでもいつか咲くことができるように、確かな一歩にしようと思います。

誰に向けるでもなく、自分自身への決意表明です。

続・巡り合わせるということ

TCL分析、実際にやってみました。

(よろしければ、一つ前の記事もご覧ください)

 すでに社会人として17年近くの時間を重ねて、17年を営業販売職として費やしてきました。店長という役職に就いてからも10年以上が経ちました。これが天職とは思っていませんが、それでも続けてきたことに対して多少なりとも自負や誇りはあります。

その経験を基に考えた「好きなこと」なので、社会に出る前の若者がやるのとは精度や純度が違う、偏りが生じる、それは事実です。

 

 とはいえ、結果は我ながら少し意外なものでした。

T(Thinking):35%

C(Communication):38%

L(Leadership):20%

どこに分類するか迷ったものもありましたが、概ねこんな感じです。

最多はCなんだというのが率直な感想でした。

外大生で「国際言語コミュニケーション」学科に籍を置いていた当時なら、Cが飛び抜ける結果には全く驚かないでしょうし、むしろ私の性格上、そうならなければ許せなかったと思います。

しかしながら、和菓子屋に就職し、まず百貨店の店舗に配属され、サブになり店長になり、店舗間の異動や営業職、新店立ち上げなども経験させてもらった現在。

私の好きなこと(最多を集めること)はTなのではないかと感じていました。

もちろんお客様と対面で接客する時間が嫌いではありませんが、それよりもディスプレイ案を考えたり、販促テーマに合わせた提案、予算組みやそれを実現するための戦略立案、結果の分析、他ブランドとの比較…そういったことに夢中になっている時間が楽しく、そこにやりがいを感じてきたからです。

考えたことが良くも悪くも自身に直に返ってくるのも、この仕事の醍醐味だと思っています。

 もう時効と思って有り体に申せば、入社を決めたのもこの仕事(営業販売職)に就いたのも、成り行き任せでした。「何が何でも!」と言う強い信念があったわけではありません。

けれども「仕事の醍醐味」だなんて、そんな言葉が出るところまで育ててもらえましたし、決して楽しいことばかりではないけど「やりがい」とは何かを教えてもらいました。

 加えて、私は昔から「一人時間」が好きでしたが、社会人になって年齢を重ねるにつれ、「一人」になる時間が必要不可欠と感じるようになりました。

 

 さて。それでもなお、Cが最多になったのはなぜか?

考えてみました。

それはやはり、Tを活かすためには「人」が必要だからです。

考えるのは一人でもできますが、私の考えたことを活かし動かし返ってくるまでには、「人」が不可欠。

お客様はもちろんのこと、同じチームのメンバー、社内の上司や同僚、百貨店側のマネージャーはじめ多くの関係者、取引先の方々、競合他社の皆さま…

 C(コミュニケーション)と聞くと、華やかで明るく活気があり、話題の引き出しが豊富で誰とでも仲良くなって、人脈の中心にいて、皆から愛されている、そんな陽のイメージが一般的かも知れません。

あいにく私にはそういう要素はほぼありません…それは自他共に認めるところだと思います。

 そしてようやく、私が本当に好きなことは考えること(T)自体ではなく、人を介して考えが巡ること、その過程を見ていること、その巡りの中に身を置いていることだと気づきました。

 思い返せば、幼少期から現在に至るまで、私の大切にしているもの・信念はわりと一貫していました。

人の役に立つ、架け橋、陰日向なく、潤滑油、温故知新、恩送り…

これらは、私が卒業文集など人生の節目節目に掲げてきた言葉です。

正直、我ながら地味だなと思っていました。誇れるような大志や挑戦しがいのある夢を掲げられない自分が、何だかちっぽけで情けなく感じている部分もありました。

けれども、今にして思えば、どの節目でも「人と人の間で生かされる」ことを望んでいたのだと気づきました。

太陽のような明るく力強いCではありませんが、小さくて地味でも「人と人を繋ぐ」という意味でのCなのだろうと思います。

 意外だと思った分析結果も、よくよく考えてみると、納得のいくものでした。

『苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」』を読んだことをきっかけに、自分と向き合う良い時間と機会をもらいました。ありがたい巡り合わせです。

 そして、このブログを書きながらも様々に思いを巡らせて、ふと気づいたことがあります。

私がブログを文章を綴る理由。

葉は風に舞って飛ばされて、意志を持って行きたいところへ直接行くことはなくとも、どこかへ落ちてやがて土になる。

どこかで誰かが根を張り、枝を伸ばしたり、花を咲かせたり。そのための土。

そんな「言の葉」であれたなら嬉しいです。

これも、私なりのCなのかもしれません。

おこがましいのですが、これも私なりの「恩送り」だと自負しています。

巡り合わせるということ

森岡毅 著『苦しかったときの話をしようか』

 この本、出版されてから長い間、どこの書店でも大きく展開されていて、話題になっているのも知っていました。でも、なぜか手が伸びなかった。「今さら、働くことの本質…」「苦しい思いをしなくても…」とどこかで感じていたのかもしれません。

 

 数ヶ月前にある人と交わした、読んでよかった本に関する会話の中でも話題にのぼりました。その時は、何かがちょっと引っ掛かりました。

穏やかで平らかな彼の纏う空気と「苦しかったとき」のワードがかけ離れているような気がしたからです。とはいえ、それでも本に手は伸びなかった。

 この本を推した彼は、私の知る限りでは最も、自身の仕事に誇りと静かな熱量と高い志をもっている人です。

自身の仕事の話を、あんなに誇らしそうに、相手にとって熱すぎも冷たすぎもしない心地よい温度感を保って、語弊なく伝わる確かな言葉を選んで、まっすぐに届けられる人に私はこれまで出会ったことがありません。

話を聴いて心が洗われたし、胸が熱くなりました。変な話ですが、相槌すら上手くできずにただ聞いてるだけの私まで、泣きたくなるくらい誇らしい気持ちにしてもらいました。

あの空間を満たした「静かな残響」は容易く言葉にするのが許されないような、きっとこの先も鳴り止むことのない響きなのだと想います。

 仕事に誇りを持っている人はたくさんいます。溢れるほどの情熱をもっている人も知っています。かく言う私も仕事はそれなりに好きですし、その時々のやりがいを感じながら、自分なりに精一杯地道にやってきたつもりです。

ただ、だからと言って…それで人を惹きつけ魅了できるか、心を動かせるか、それはまた別の話です。

なぜ彼にはそれができるのか、彼の纏う穏やかで平らかな空気と仕事にかける静かな熱量やその志はどうやって共存するのか、ずっと不思議でした。

 

 しばらく経って11月の初め、ふとした拍子に本屋さんで目に留まり、今度は自ずと手を伸ばしていたのが『苦しかったときの話をしようか』です。

結論だけ言うと、私にとっては「今」読むべき本だったのだと感じました。過去何度も目にしながら食指が動かなかったけれど、それも「今」巡り合わせてもらうためだった。そんな気がします。

「私が就活をして社会に出る前に読んでいたら、私の進路やその後の働き方やキャリアが変わっていたかな?」と読みながら度々考えましたが、おそらくそんなに上手くは運ばなかっただろうと思い至りました。

私の歩みの遅さや瞬発力の低さは幼少期からで、20歳そこらの私が当時読んでも、きっと「自分事」に落とし込めなかったからです。

しかしながら、私が社会に出て早17年が経とうとしていますが…今さらなどと言わずに、パースペクティブの外側にも目を向けて広げて、改めて軸を探してさらに太くしてみたくなりました。華々しい経歴はないけど、地道に努めて経験を積んできた「今」だからこそ、やっと自分事に落とせる気がしています。

今にしてやっと手を伸ばした自分を少しは褒めてもいいかと思います。

 

 さて、本書を薦めてくれた彼の話に戻します。

不思議なことに、本書を手に取る前後1ヶ月ほどの間で、私が彼に関して抱いていた疑問も自ずと解けたように感じました。

穏やかさや平らかさは、水面下で揺れに揺れて、想像よりずっとずっと深い根底から掻き乱されるような事柄を経て、長い年月をかけた末にやっとのことで身についたもの。

彼が語る話が人を惹きつけ心を動かすのは、何度も何度も、深くさらに深くへと、角度を変え、立場を変え、時には痛みに耐え、傷を負っても実直に、繰り返してきた時間の層があるから。

穏やかさと苦しさはかけ離れていない。地続きにあって、だからこそ纏う空気は清らかになっていく。

 

 そして、何の脈絡もなく散らばっているように見えていた多くの点が、音もなく静かに繋がりだした時、奇妙な話ですが、私は初めて自分の心根に触れたようでした。

見ていないつもりもなかったけれど、でも、自身の心の底までどのくらいの深さがあるのか、考えたこともなかったですし、深く潜ると息ができなくなりそうで怖くて、程よいところを「心の底」と見做していたようにも思います。

 出逢い、巡り合わせ、ご縁、運命…

どれも好きな言葉で、どれも当てはまるようにも感じられますが、同時にどの言葉を使っても言い尽くせぬようにも、言葉で一滴も溢さず掬い取ろうなんて傲慢なようにも、感じています。

それでもあえて綴るのなら、彼に出逢えたから『苦しかったときの話をしようか』に手を伸ばせたし、本を読んだから疑問が解けたし、だからこそ自身の心根に触れる機会を得た。

「導いてもらえた」「気づかせてもらえた」「掬ってもらえた」

私自身の間の悪さを悔いることも、どれほどかも分からないくらいに周回遅れになっている状況への情けなさも、どこへぶつけたら良いのか判断できないやるせなさも、全部をひっくるめて「私は私」と認めて受け入れようと思わせてもらいました。

 

 「ここに書いて何になる」とも考えましたが、自戒を込めて綴りました。

巡った先でいつか誰かを、そして私自身を、そっと励ますことができますように。

祈るような気持ちを込めて…

オンとオフの「狭間」の価値

 このところ思いの外慌ただしい日々で。

オンとオフ、表と裏などと言われますが、私は一度オンにスイッチ入れたらと、オフ(裏)などまるでないように、ぐらぐらせずに立ち回れてたはずでは…と調子が狂い自分に面食らっています。

 

 そんな中でふと感じたよしなし事を綴ります。

King & Princeは、海人さんや廉さんは、私にとってオンオフどちらなのか?

考えたこともなかったですが…

言うなれば、彼は誰時・黄昏時みたいな存在だなというところに着地しました。

キラキラしたアイドルのイメージとかけ離れた言葉になっていますが、私の抱く印象に限った話なので悪しからず。

 

 思えば、オンオフと言いつつ、オンのスイッチは自分で意識的に入れても、そのスイッチを自ら切ることはあまりなくて、いつの間にか気づいたらオフになっているように感じます。

たとえば通勤時に聴く曲や、車内で見ているThreadsに流れてくる声、FCブログ、公式SNSの投稿…それらが、ゆるやかにオンとオフを繋いだり解いたりしながら、「私」と「わたし」を支えて成り立たせてくれている。

 

 一日も昼と夜だけではないし、昼でも夜でも雨が降ったり風が吹いたり曇ったりします。

彼は誰時・黄昏時は、意識せずにいたら過ぎ去ってしまうけれど、一日の中で欠くことのできない時で、そこの「移りゆくひととき」に心が向けられる豊かさは、誰しもが確かな感覚として持ち合わせているだろうと思います。

 彼は誰時も黄昏時も、繋いだり解いたり、歩を緩めてくれたり、ただ黙って立ち止まるきっかけをくれたり、次の一歩へとぽんと背中を押してくれたり、先を歩きながらふわりと振り返って見守ってくれたり…

廉さんと海人さん、キンプリの姿とどこか重なって映ります。

オンでもオフでもない、見方を変えれば、オンでありオフでもある。

 

 気忙しい毎日で心身ともにぐらぐらして、我が事ながら心許ないような、見えない相手にたじろいでいるような、そんな心地でしたが。

ふとした拍子に「彼は誰時・黄昏時」に思い至ると、するりと肩の荷が下りたようです。

彼は誰時、真昼、黄昏時、深夜と流れる時間に切れ目がないように、

一人一人にも切れ目がなくて当たり前か、どこかだけを無理に切り取って印象を操作しようとしなくていいか。

そう思います。私はキンプリにそう思わせてもらいました。

 キンプリほどの偉業は達成できないけれど、せめて、そっとコーヒーを淹れるとか「お茶にしようか」と声かけるとか、自分にも他人にも「ひとゆるみ」を許してあげられる人間でありたいものです。

仮に時代に反していても「仰げば尊し」

今週のお題「思い出の先生」

 

 中学時代の3年間、お世話になった先生がいらっしゃいました。

教科は英語、学年主任をなさっていました。

 

 2年ほど前、見知らぬ差出人名で喪中欠礼ハガキが来ました。

「本年三月、妻 ○○、永眠いたしました」の文字を見てもピンと来ず、差出人の住所を見返して、すーっと血の気が引くのを感じました。

そういえばその年頭、毎年くださっていた年賀状が来なかったんです。

でも、先生はまだ60代でしたし、お忙しいのだろうなとさほど気にも留めず。まさか、こんなことがあろうとは…露ほども考えていませんでした。

 それからすぐ、ご主人宛に手紙を添えてお供を送りました。お彼岸のお供えの添え状に「一度お参りさせてください」と書いていたら、「いつでもご連絡ください」と快いお返事もいただきました。

とはいえ、ご主人とは面識もなければ、どんな方かも何も分かりません。

私から願い出たのに躊躇う気持ちもありました。

でもやはりと思い、ご自宅へお邪魔しました。

「私が尊敬してきた先生のご主人なんだから、素敵な方に決まってる」その予想を裏切らない、何なら予想をはるかに上回る、思いやりに溢れた「先生」でした。

そう。もうお辞めになっていますが、ご主人も長年教員をなさっていたそうです。

中学時代にお世話になった恩師と、そのご主人。

この年齢になって、また新しく「先生」に会えたような気がして、心が温かくなりました。

 

 さて、ここからは中学時代の恩師を偲んで書き綴ります。

 中学入学に合わせて他府県から転校した私は、今よりずっと内向的でしたし、小学校区によるコミュニティが何もなく、見知った友達もいません。今思い返しても、不安しかないスタートでした。

 でも、何故だか分かりませんが、中学から始まる英語の授業は楽しみでした。

「英語が話せたら、属することのできるコミュニティがぐっと増える、世界も価値観も広がる。あと、字幕で映画を観て、他の人より先に笑える優越感がある。」そんな話をしてくださったのが印象深いです。

授業自体も面白かったんですが、何より授業の始めに洋楽をかけて、歌詞で文法やイディオムを教えてくださる時間がすごく好きでした。

教わった曲がかかると、今でも恩師のことを懐かしく思い出します。

 中学時代、英語の成績はそこまで良くはありませんでしたが、でも先生のおかげで英語がすごく好きで、それに合わせて進路も決めました。

よく中学生は「多感な時代」と言われて、それはその通りだと思います。

ただ当時の私に限って言えば、「周りの多感さについていけない、順応できない劣等感」の方が強かったように思います。周りから「真面目」と言われることが多くて、実際、地味で真面目で個性のない生徒だったと思います。

おそらく好きなこと(英語の授業)がなければ、中学生の私は立っていることすらできなかっただろうと感じます。

 高校へ進学してから、英語は好きなだけでなく得意科目になり、その先外大へ進むこと、日本語教員養成課程で学びたいこと…夢や目標ができ、恩師の言葉通り、コミュニティも世界も価値観も広がりました。

「日本」や「文化」に興味が向くようになったのも、起点には間違いなく英語があったし、それは大学卒業後、社会へ出てからも変わりません。

 中学卒業後は、「よしなしごと」を書いて送る、年賀状だけのお付き合いでしたが、先生は毎年必ず一言メッセージを添えてくださって、それに大いに励まされ救われてきました。気づけば20年、そのやりとりを続けていました。中学校で英語を習った3年間はもちろん、それよりはるかに長い間ずっと「先生」でいてくださった。

この年齢になった今、それがどんなに有り難くかけがえのないことか、身に沁みて分かります。

 あの時、恩師と出会っていなければ、私の人生はきっと全く違った様相だったはずです。

機を逃したり遅れをとったりが多くて、お世辞にも華麗な歩みとは呼べない私の人生ですが、恩師に恵まれたことは胸を張って誇れることだと思っています。

 

 最後まで恩返しはできなかったけれど、いつかどこかで何かに繋がる恩送りになることを願って、心からの感謝を込めて贈ります。