オンとオフの「狭間」の価値
このところ思いの外慌ただしい日々で。
オンとオフ、表と裏などと言われますが、私は一度オンにスイッチ入れたらと、オフ(裏)などまるでないように、ぐらぐらせずに立ち回れてたはずでは…と調子が狂い自分に面食らっています。
そんな中でふと感じたよしなし事を綴ります。
King & Princeは、海人さんや廉さんは、私にとってオンオフどちらなのか?
考えたこともなかったですが…
言うなれば、彼は誰時・黄昏時みたいな存在だなというところに着地しました。
キラキラしたアイドルのイメージとかけ離れた言葉になっていますが、私の抱く印象に限った話なので悪しからず。
思えば、オンオフと言いつつ、オンのスイッチは自分で意識的に入れても、そのスイッチを自ら切ることはあまりなくて、いつの間にか気づいたらオフになっているように感じます。
たとえば通勤時に聴く曲や、車内で見ているThreadsに流れてくる声、FCブログ、公式SNSの投稿…それらが、ゆるやかにオンとオフを繋いだり解いたりしながら、「私」と「わたし」を支えて成り立たせてくれている。
一日も昼と夜だけではないし、昼でも夜でも雨が降ったり風が吹いたり曇ったりします。
彼は誰時・黄昏時は、意識せずにいたら過ぎ去ってしまうけれど、一日の中で欠くことのできない時で、そこの「移りゆくひととき」に心が向けられる豊かさは、誰しもが確かな感覚として持ち合わせているだろうと思います。
彼は誰時も黄昏時も、繋いだり解いたり、歩を緩めてくれたり、ただ黙って立ち止まるきっかけをくれたり、次の一歩へとぽんと背中を押してくれたり、先を歩きながらふわりと振り返って見守ってくれたり…
廉さんと海人さん、キンプリの姿とどこか重なって映ります。
オンでもオフでもない、見方を変えれば、オンでありオフでもある。
気忙しい毎日で心身ともにぐらぐらして、我が事ながら心許ないような、見えない相手にたじろいでいるような、そんな心地でしたが。
ふとした拍子に「彼は誰時・黄昏時」に思い至ると、するりと肩の荷が下りたようです。
彼は誰時、真昼、黄昏時、深夜と流れる時間に切れ目がないように、
一人一人にも切れ目がなくて当たり前か、どこかだけを無理に切り取って印象を操作しようとしなくていいか。
そう思います。私はキンプリにそう思わせてもらいました。
キンプリほどの偉業は達成できないけれど、せめて、そっとコーヒーを淹れるとか「お茶にしようか」と声かけるとか、自分にも他人にも「ひとゆるみ」を許してあげられる人間でありたいものです。
仮に時代に反していても「仰げば尊し」
今週のお題「思い出の先生」
中学時代の3年間、お世話になった先生がいらっしゃいました。
教科は英語、学年主任をなさっていました。
2年ほど前、見知らぬ差出人名で喪中欠礼ハガキが来ました。
「本年三月、妻 ○○、永眠いたしました」の文字を見てもピンと来ず、差出人の住所を見返して、すーっと血の気が引くのを感じました。
そういえばその年頭、毎年くださっていた年賀状が来なかったんです。
でも、先生はまだ60代でしたし、お忙しいのだろうなとさほど気にも留めず。まさか、こんなことがあろうとは…露ほども考えていませんでした。
それからすぐ、ご主人宛に手紙を添えてお供を送りました。お彼岸のお供えの添え状に「一度お参りさせてください」と書いていたら、「いつでもご連絡ください」と快いお返事もいただきました。
とはいえ、ご主人とは面識もなければ、どんな方かも何も分かりません。
私から願い出たのに躊躇う気持ちもありました。
でもやはりと思い、ご自宅へお邪魔しました。
「私が尊敬してきた先生のご主人なんだから、素敵な方に決まってる」その予想を裏切らない、何なら予想をはるかに上回る、思いやりに溢れた「先生」でした。
そう。もうお辞めになっていますが、ご主人も長年教員をなさっていたそうです。
中学時代にお世話になった恩師と、そのご主人。
この年齢になって、また新しく「先生」に会えたような気がして、心が温かくなりました。
さて、ここからは中学時代の恩師を偲んで書き綴ります。
中学入学に合わせて他府県から転校した私は、今よりずっと内向的でしたし、小学校区によるコミュニティが何もなく、見知った友達もいません。今思い返しても、不安しかないスタートでした。
でも、何故だか分かりませんが、中学から始まる英語の授業は楽しみでした。
「英語が話せたら、属することのできるコミュニティがぐっと増える、世界も価値観も広がる。あと、字幕で映画を観て、他の人より先に笑える優越感がある。」そんな話をしてくださったのが印象深いです。
授業自体も面白かったんですが、何より授業の始めに洋楽をかけて、歌詞で文法やイディオムを教えてくださる時間がすごく好きでした。
教わった曲がかかると、今でも恩師のことを懐かしく思い出します。
中学時代、英語の成績はそこまで良くはありませんでしたが、でも先生のおかげで英語がすごく好きで、それに合わせて進路も決めました。
よく中学生は「多感な時代」と言われて、それはその通りだと思います。
ただ当時の私に限って言えば、「周りの多感さについていけない、順応できない劣等感」の方が強かったように思います。周りから「真面目」と言われることが多くて、実際、地味で真面目で個性のない生徒だったと思います。
おそらく好きなこと(英語の授業)がなければ、中学生の私は立っていることすらできなかっただろうと感じます。
高校へ進学してから、英語は好きなだけでなく得意科目になり、その先外大へ進むこと、日本語教員養成課程で学びたいこと…夢や目標ができ、恩師の言葉通り、コミュニティも世界も価値観も広がりました。
「日本」や「文化」に興味が向くようになったのも、起点には間違いなく英語があったし、それは大学卒業後、社会へ出てからも変わりません。
中学卒業後は、「よしなしごと」を書いて送る、年賀状だけのお付き合いでしたが、先生は毎年必ず一言メッセージを添えてくださって、それに大いに励まされ救われてきました。気づけば20年、そのやりとりを続けていました。中学校で英語を習った3年間はもちろん、それよりはるかに長い間ずっと「先生」でいてくださった。
この年齢になった今、それがどんなに有り難くかけがえのないことか、身に沁みて分かります。
あの時、恩師と出会っていなければ、私の人生はきっと全く違った様相だったはずです。
機を逃したり遅れをとったりが多くて、お世辞にも華麗な歩みとは呼べない私の人生ですが、恩師に恵まれたことは胸を張って誇れることだと思っています。
最後まで恩返しはできなかったけれど、いつかどこかで何かに繋がる恩送りになることを願って、心からの感謝を込めて贈ります。
おかげさまで、今年も心豊かな一年でした
先日、永瀬廉さんについて綴っていたのですが、本日はやはり髙橋海人さんへ。
今年1年を振り返ってみても…本当に「ありがとう」に満ちた人だなと感じます。
昨春のドラマをきっかけに俳優・髙橋海人さんを知り、King & Princeを知り、そこから文字通り世界が広がったこと、そしてこの先もきっとまだまだ広がるんだろうことを感じます。
私は何事においても「熱しにくく冷めにくい」タイプで。
好きになるまでも他人より時間がかかるし、好きになったとて沸点に達することはないのだろうと思います。私の好きは、おそらく他人の「平熱」くらいなのかなと、比較の仕様がないので分からないなりに分析しています。
平熱だから、軌道に乗りさえすればずっと維持できる、触れていられる。その点は私の強みでもあるかな、なんて。どのくらいぶりかも思い出せないくらいの自己分析。
それはさておき。
新しい世界の起点となり、扉を開けてくれた髙橋海人さん。
今年も色とりどりの景色や世界へ誘ってくれました。
決して強引に手を引っ張るわけではないけど、なぜだか付いていきたくなるような、心地よい思いやりにあふれた人だなと、つねづね感じます。
海人さんという接点がなければ、きっと見向きもせずに読み飛ばしたり、たとえ目に入ったとしても記憶の片隅にすら残さずに流れ去ったであろう、数多くのものごと。
具体例を列挙するのはやめておきますが、一つ言えるのは、
去年始めたこのブログも、今春始めたThreadsも、きっかけの一つにあるのは海人さんやKing & Princeに出会えたこと。
以前から「ことのは」の力を信じていたし、文章を書くのは好きでしたが、そこに新たな軸が加わったように感じています。
過去の投稿を読み返しながら、自分でも「心が豊かになっていく」過程を見ているようで、どこか気恥ずかしさもあり、でもそれ以上に「心丈夫なお守りを得た」、そんな感覚が強くあります。
そう思わせてもらえるのはなぜだろう。
思いを巡らせて行き着くのは、海人さんはいつも「楽しそう。愉しそう。」ということ。
くるくる変わる表情やにこにこした笑顔が魅力的なのはもちろんですし。
余談ですが、廉さんの笑顔が「くしゃ」っと柔らかく軽やかな音が聞こえそうな笑顔なら、海人さんの笑顔は正真正銘の(?)「にこにこ」。
側から見ていたはずなのに、気づいたらその輪の中に取り込まれている、そのくらいの包容力のある「にこにこ」だなと思います。
話が逸れました。
いつも「たのしそう」だからと言って、決して負の感情や側面がないわけではない。
傷つくこと、悲しいこと、虚しいこと、悔しいこと、戸惑うこと、落ち込むこと…
計り知れないくらい経験なさっている、ただただ推し量るしかなくても、それは想像に難くないです。
でも海人さんは「たのしそう」。
緊張したり、怖気づいたり、焦ったり、時々見せるそんな姿も、実際には見ることのない悩んだり、考え込んだり、夢中になって集中している横顔も。
全部引っくるめて「たのしそう」に魅せる。魅せてくれる。
生粋のエンターテイナーだなと思います。
そして私は、彼の「たのしそう」の下に時折見え隠れする、「策士」的な野心的な一面を、とても好ましく想っています。頼もしいなと感じます。
前回のブログで、私は廉さんとは共通項がないと淋しく感じていた、と書いたのですが。
去年、役を離れた海人さんを初めて知った時、私は「この子、どことなく私と似たところがあるな」と感じたんです。
内向きというか、外向きの対応をするためのエネルギーのかけ方が似てる気がしました。でも、見ているうちに「思ったより全然似てないや」と気づきました。
おそらく心根の温度が違うんです。
けれど、今度は不思議と淋しくはなかった。似てなくても温度はちゃんと届いていたし、魅せることで届けてくれる人なんだと想えたので。
そしてその実感は今年一年でより強く深くなりました。
「ありがとう」では言い尽くせないように感じますが、精一杯の感謝を込めて。2024年も豊かな一年にしてくれて、ありがとう。
素敵な人たちに出会えた誇りと愛ある無関心をもって、この先も心ゆくまで魅せられようと思います。
もしも私の「ことのは」がどこかで何かの土壌になれるならなんて…
おこがましいけれど、伝えたくて筆を執りました
昨年、髙橋海人さんをきっかけにKing & Princeに深く魅せられた私ですが、永瀬廉さんのことは以前から知っていました。
『おかえりモネ』『わげもん』で見ていましたし、「国宝級イケメン」のニュースでも目にしていたので。
けれども彼が、King & Princeに所属してることも、存続を選んだ2人のうちの1人であることも、恥ずかしながら去年2023年の春に初めて認識しました。
キンプリだと認識せずに見ていた当時の印象は、悪くもないけど、正直なところあまり良くもなくて。例えるなら「薄氷みたいな子」やなと感じていました。
見ている分には良いけど、冷たくて、触れようとすると安易に割れてしまいそうで、決して近づくことを許さない、そんな印象。
去年「King & Princeの永瀬廉さん」として見るようになって間もなく、元々抱いていた印象とは違う面が沢山あると気づいたし、面白いくらいの速さで良い方へと更新されていきました。
ただ「薄氷」のイメージは依然としてあって。
見たドラマの影響ですが、廉さんの役柄って陰のあるというか闇を潜めている印象が強くて、それが嘘っぽくも見えなくて…
そんなふうに去年は、良い印象もぐっと増えて素敵な人やなと思いつつ、でもどことなく…ちぐはぐと言うか、とりどりに散らばっていました。
私自身とは共通項が見当たらないし、捉え所が見つからず、心理的な距離が遠い人だと、訳もなく淋しさすら感じていました。
その淋しさが覆り、豊かさへと開拓されたのが今年2024年でした。
厳密に言うと、起点は去年の大晦日。
FC動画の中で「列車の旅がしたい」という話をしていて、それを聞いた時、妙にすとんと納得しました。とりどりに散らばった印象の下にある確かな地盤に、ようやく私も気づけたようで息を呑みました。
「列車の旅」と「見たい景色」が私と同じで、仮に共通項がそれだけだとしても、応援するのを許されたように感じて、何だかほっとしたのを覚えています。
お誕生日のInstagram開設にも心動かされました。中でも私は、時折アップされる風景の写真が好きで。廉さんの静謐で悠々とした心根が映るような気がしています。
独りよがりな上に的確な説明もできませんが、心が洗われて、ふわりと掬い取って肯定してもらえた気になります。
あとは、今更私が綴るまでもなく、様々な事柄が廉さんの身に起こった一年だったとお見受けしますし、推察もします。
そんな中で私は、廉さんのナチュラルな笑顔にとても救われました。
「くしゃ」と軽やかな音がしそうな、やわらかな混じり気のない笑顔が素敵だなと感じます。
名前と顔以外ほぼ何も知らなかった頃から今に至るまで、単に私の心の傾け方が変わってきただけで、決して廉さん自身の人となりが激変したわけではないのだろうと思います。
けれども、私が廉さんに対して抱いていたちぐはぐな違和感がきれいに取り払われたことで、この一年で私の世界は確実に拡がり、誇れるものが増えました。
永瀬廉さんと髙橋海人さん、2人の作るKing & Prince、キンプリチーム、生み出す世界と作品、そこに関わり纏わる人々やものごと__
私がそれらにどれだけ魅了されようとも、どこまで行っても、良くも悪くも、所詮は外野で赤の他人に過ぎません。たとえ「キンプリの輪」に加えてもらえたとしても、その前提は忘れないでいようと思っています。
だからこそ節度をもって「愛ある無関心」を貫こうと思えます。
私は何をするにも遅咲きで保守的で…アピールの仕方や外向きの見せ方が下手だと痛切に感じています。
ただ、無いものに憧れて羨んで嘆いても仕方ないから。私なりに道を踏み固めれば良いか。そんな境地です。
そして今、書き綴りながら気づいたのですが。
そういう自己分析ともいうべき内省の機会も、おそらくキンプリに出逢わなければ得られなかった。
結びに海人さんの言葉を借りると「奇跡」です。
その「海人さんへの今年もありがとう」は、また日を改めます。
私から嵐へ
嵐デビュー25周年おめでとうございます‼︎
上手く思いがまとまっていない上、遅ればせながらですが…
世間は広しと言えども、嵐に全く影響を受けていない人は、見当たらないだろうと思います。当たり前すぎて忘れがちですが、それだけでも讃えるべきことです。
世間の片隅にいる私も御多分に洩れず、嵐の皆さんに、その楽曲に、大いに救われ、支えられてきました。「お力をお借りした」がふさわしいように感じています。
社会人になった最初の数年間は特に、通勤時にずっと嵐の曲を聴いていました。私がどんな心持ちでいても寄り添ってくれる楽曲があって。
特定の曲ではなく「嵐の曲を聴く」そのひとときが、自律するためのお守りでした。
ファンクラブにも入らず、名もなき力もなき、ひたすらちっぽけな一人ですが、アルバムだけはずっと手元に置いてきました。拠り所です。
今にして思えば、5人の声に包まれて、歌詞の中にある言葉を拾い集めて、自身の中にあるのに得体の知れない、捉えどころのない感情と向き合って、それを一つ一つ落とし込んで整理していたのだと分かります。
分析というほど堅苦しいものではなくて、絡まった糸を解くように、皺を伸ばすように、分別するように、そしてその先につなぐように…
言葉だけ探すなら本でも新聞でもよかったのでしょうが、私には嵐の楽曲である必要があった。5人が歌っているからこそ、揺るがぬ信頼と包容力を保って届いたのだと、これも今なら断言できます。
年齢だけ見れば、私にとって嵐の5人は、ちょっと年上だけど同世代の「お兄さん」です。
だからちょっと走って背伸びしたら届きそうにも思えるけれど、私が社会人として経験を積んで、少しずつ自立・自律する術を覚えてもなお、5人はずっと前を歩いたり走ったりしながら、背中を見せて引っ張ってくれる存在でした。
たまに振り返ってくれる時に、ちらりと見える表情はいつも変わらずきらきらしていて、溢れんばかりの充実感と自信に満ち満ちていた。「かっこいい」なんて、そんなありふれた言葉で語り尽くせるものではなかった。
さらに私が年齢を重ねて、自身の歩みが世間一般の平均よりずっとずっと遅いこと、いくら継ぎ接ぎしても繕いきれないくらい欠落している部分が多いこと…
そんな事実にやっと気づいて、心身ともに揺らいで身のこなし方を見失った頃でした。
嵐の活動休止が報じられたのは。
衝撃的ではありました。
でも、彼らの背中は見慣れたものと変わりなく思えたし、休止までに2年もの時間を割くという決断や、その後に魅せてもらった姿がそれまで以上に輝いていたこと。それらの過程の方が偉大で、私自身はぐらぐらしてたのに、嵐の5人に対してはさほどネガティブに傾かなかったのが本音です。
ずっと5人の背中を見てきたので、いざこちらを向いて腰掛けられても、戸惑うばかり…そんな心地です。
思ったよりも俺らの背中、遠かったでしょ。
さぁどうする。遠くても見えてるよ。
まずはお手並み拝見。
為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり。
道は一本ではないから、色んな道を描いて見せてよ。
そんなふうに言われて、にこにことただ見守られているような気がしています。
活動休止後ずっと。
同世代とはいえ、私の遅々とした歩みでは、横に並べる日は来ないだろうと思います。でも私が足を止めてしまったら、頼もしい背中も見えなくなってしまうから。せめて自分の意思で歩かなきゃ。
恩返しなんておこがましいから、せめてもの微力ながらの恩送りを。
いつの日にか、ずっと伝えそびれていた「ありがとう」が届きますように。
25周年。
その重みも、尊さにも、思いを致すことができるようになって。
続けてきてくださったからこそ、今があるし、私はこの境地に至ることができたのだから。
心からの感謝に代えて、綴ってみました。
映画『ふれる。』の感想
言葉にしなきゃ伝わらないこともあるし、言葉にしても伝わらないこともある。
触れるから伝わること、触れたから伝わらなかったこと。
繋がりたい気持ち、繋がりを厄介だと感じる気持ち。
微笑みを絶やさず、耐え忍んで。
無表情の下の熱い心根。
相反する心や状況の中で、この涙はどこから来てどこへ行くのか。
手応えの感じられないことも多いけれど、それでも、物理的にも心理的にも、触れられる距離にいるのは心強いこと。
触れることを諦めず、触れようと伸ばされた手を拒まず、いられたらと思います。
心をそのまま掬い取ってくれるような映画でした。
この先は不思議な生き物「ふれる」について、私の抱いた感想です。核心というほどのことを書き綴るわけではありませんが、これら映画を観る方はご留意ください。
ふれるのおかげで分かり合えてるのに、お前の考えていることは分からないんだよな。
(細かい言い回しは忘れてしまったのですが)劇中で秋がそんなふうにつぶやきます。
そう。ふれるは過去にも沢山の人を繋いできたのに、その心は誰にも分からない。
島に伝わる神様だとか妖怪だとか言われて。
ふれるは一体何者なのか。何のために存在しているのか。
争いの種になりそうなことは予め取り除いて、清く純真な気持ちを伝え合う架け橋としてのふれるー
「架け橋」という単語がふとよぎった瞬間、何かがチクッと私を刺しました。
「ふれる」は私の憧れではないのか…もちろん私は神様でもなければ、ふれるのような高い能力もないけれど。組織や集団の中において、私は架け橋や潤滑油でありたいと願っていて、その役割を果たせた時に存在意義を見出すというか、ささやかな自信を持つことができる。
ただそれは、見方を変えると、他者を介することでしか存在意義がないし、一人きりの私が一体何者なのか示せず心許ない。
ふれるのとりもった縁は沢山あって、ふれるがいなくても繋がる縁もある。まっすぐ1本だったはずが、いつしか伸びてたわんで、ほつれて絡れて。
争いの種だと思ったことが一番清いことだったり、純真だと思われたものが争いの種になったり。
紡いだ糸に絡まって、身動きが取れなくなったのは、ふれる自身ではないのか。
なぜ諒や優太に見えなくなった糸が、秋には最後までちゃんと1本1本見えていたのか。
ふれるを一番頼りにしていたのも、信じていたのも秋で、でも同時に、ふれるを介さずに一対一で正面から向き合わなきゃいけないと最も感じていたのも秋。
架け橋としてではない「一人きり」のふれるに向き合ってくれたのも秋。
そしておそらく、ふれるが触れたいと願っていたのも秋。
だからなんですね。
ふれるは憧れであり、化身であり、最後は羨ましくもあり、それこそ心友にしてもらいたくもありました。
小さな小さなふれるに、もしどこかで出逢うことがあれば、ちゃんと気づける人間でありたいし、ふれるにも優しい社会であればいいなと願います。
潤いのひととき
だいぶ久しぶりになってしまいました。
何があったわけでもなく、良くも悪くも変わらない日々を過ごしていました。
今年の春頃、何気なくThreadsを始めたんです。
ドラマの感想とか、日々のあれこれとか。
500文字という制限は、私にとってはちょうど良くて、そちらへの投稿が増えてしまって、このブログの場をなおざりにしていました。
加えて、Threadsのおすすめとして勝手に流れてくる投稿を読むのも楽しくて。
もちろん、心地よい内容ばかりではなくて、不意に刺さった小さなトゲや抗えない暗雲のようなものにも遭います。
それでも、心が潤う瞬間や、見慣れた景色が少しだけ鮮やかに見えるきっかけにも逢えます。心の栄養と言うと仰々しいのですが、こうやって培われていくのかなと感じるひとときは、ささやかな喜びです。
「推し」のことを書かれているThreadもよく目にします。
私もこのブログ同様、時折King & Princeや永瀬廉さん、髙橋海人さんについて書いています。
ブログ読んでくださっている方は何となくご存知かもしれませんが、私は彼らを知ってからの日も浅いですし、「推し」という文化とは無縁のところで長年生活してきました。
気に入っているものや好きなものはありましたが、「推し」とは何なのか、感覚として上手く理解できませんでした。「でした」と書きましたが、今もよく判りません。
キンプリは私の推しなのか、誰かに推し薦めたい存在なのか、私はファンと呼べるのか。悩ましい問題としてではなく、初めて読む物語のページをめくるのに似たわくわくした心地で、考えるともなく考えていました。
結論から言うと、答えを出すのはやめました。匙を投げたわけではありません。
代わりに、私がどうありたいか、それだけ分かりました。
私は「葉っぱ」でありたい。1枚1枚には名もなく、見分ける術などない。見分ける必要もない。
新緑の若葉、夏の樹々の逞しさ、木陰の涼しさ、紅葉の鮮やかさ、そして落ち葉。
何かの拍子に目に入るかもしれないし、目に留まらないかもしれない。
流れる景色や時間の中で、ほんの些細な潤いとなれたら。
そしてその先。以前、ブログにこう綴ったことがありました。
「葉は風に舞って飛ばされて、行きたいところへ直接届くことはないのでしょうが、どこかへ落ちてやがて土になる。
どこかで誰かが根を張り、枝を伸ばしたり、花を咲かせたり。そのための土。
そんな「言の葉」であれたなら嬉しいです。」
Hatena BlogやThreadsで素敵な文章をたくさん目にして、言の葉っていいなと改めてしみじみと感じます。
推し活にも様々あるのでしょうが、私は「ことのは」も好きだから、
名もなき葉を微力ながらお役立ていただけたらなんて。
夏の終わりに想っています。