今週のお題「ほろ苦い思い出」
小学2年生。記憶の中で一番古いラブレター。
好きな男の子が地域の野球チームに所属していて、近所のグラウンドで練習していました。グラウンドの端に転がっていたボールの下に黙って置いた手紙。
何を書いたのかさっぱり覚えていませんし、相手にちゃんと届いたのかも判然としません。当時は「恋愛感情」という認識すらなかったように思います。
小学4年生。バレンタインの思い出。
バレンタインデーの当日、お家にお菓子と手紙を届けに行きました。渡したかった本人は不在で、お母様が受け取ってくださったと記憶しています。
お菓子は母が一緒に作ってくれて、手紙はかなり時間をかけて書いたことは覚えていますが、具体的な内容は忘れちゃいました。
学校で面と向かって渡すこともできたのに、私はそれができなかった。
でも、彼は「ありがとう」を面と向かって伝えてくれました。
幼いながらに「誠実」ってこういうことなんやと感じたのを覚えています。
時は巡って高校3年生の卒業式。
一度も同じクラスにはならなかったけど、履修科目の傾向が似ていて成績も同じくらいで、私が勝手に負けたくない追いつきたいと思っていました。
本人に伝えたことはないので、きっと彼からしたら私は別にライバルでもなんでもなかったでしょう。
卒業式に「切磋琢磨したいと思える存在でいてくれてありがとう」を込めて手紙を書きました。
でも。渡せませんでした。
何度も何度も書き直した手紙でしたが、それをもらって戸惑う顔をされるのが怖かったんだと思います。返事をはぐらかすような人ではないと知っていたので、尚更。
今にして思えば「ほろ苦い思い出」なのでしょうが、そう括るには美化しすぎている気がします。
要は意気地なし、ただそれだけです。
私は子供の頃も今も、誰かを好きになるのにもかなりの時間がかかり、好きな気持ちを本人はもちろん、周りの人たちに話して共有することもできません。
いわゆる「匂わせ」とかができれば可愛げもあるのでしょうが、それもできず、他人に好意がバレたこともありません。
きっと周りは私を「恋愛感情の欠落した人間」と見ていると思います。
それもあながち間違ってないよね…とすら感じます。
もうお気づきでしょうが。
私はテンポよく言葉をやり取りできる人間ではありません。
雑談レベルのたわいない話なら、関西人らしく軽妙なツッコミもできるのですが。
ちゃんと伝えたいことほど、言葉を選ぶし、その言葉を発するかどうかも考えるし、返答にもあれこれ思い悩んで…
手紙や文章が好きですが、それも書いては消しを繰り返したり、書き直したり。
私の中では「思いを巡らす」なのですが、かけた時間に見合う的確な言葉を選べていないことも多くて。
その間に、周りの時間は私の倍以上の速さで流れています。
「機を逃す」って私のためにある言葉かと錯覚するほどです。
ここまでくると「ほろ苦い」では収まらないですね。
機を逃して、肝心な時に届かないことも多いけれど。
忘れた頃に結ばれた実みたいに。思いがけず舞い落ちた葉みたいに。
どこかの誰かにとって、それくらいの存在でいられたらと願います。