人の心が、年の初めに届く国

 人の心が、年の初めに届く国。

もうだいぶ前の郵便局 年賀状のキャッチコピーです。

これ、すごく好きです。当時も良いなと思っていましたが、今も好きです。

年賀状という文化も好ましい。

ですが、世間の潮流なのか、私の心持ちの問題なのか…

厚く重い雲が垂れ込めた冬空のような、そんな感情が同居するようになって久しいです。

 

 かく言う私も、近頃は出す枚数がかなり少なくなりました。

こちらが出す枚数が少ないから、届く枚数も少ないけれど。

それでも嬉しいんですよね。ポストに年賀状が届いているの。DMみたいなものでも。

手書きの文字が一言でもあれば尚更、心が温かくなります。

昔から年賀状に限らず手紙を書くのが好きでした。物理的に手に触れるのが嬉しかったんだと思います。

それなら相手がどう思っていようがやめずに、私は出し続ければ良いとの考え方もあるでしょう。でもそれが出来ないのが、私の度量の狭さというかなんと言うか…

 

 そもそも。

私はアラフォーですが独身で。そんなに交友関係が広い方でもありません。

仕事は嫌いではないというよりか、仕事ぐらいはやりがい持ってしっかり努めなきゃと思っている人間です。

年齢的に、周りの友人知人にはほぼ家庭があって。

「結婚しました」「家族が増えました」と報告できることが毎年たくさんある。

意地っ張りに聞こえてしまうでしょうが、その報告自体は私にとっても喜ばしいもので、知らせて欲しくないとは全く思わないんです。

けれども、一方の私は毎年「変わらず元気です」くらいしか報告できることがなくて。その事実よりも、毎年定型文みたいな年賀状を受け取らせるのが心苦しくなりました。

おかしな言い方ですが、ある時から「釣り合わなくて不甲斐ない」と感じています。

 

 矛盾しているのですが。

それでも私は、人との繋がりは大切にしたいと思っていて。

色々と思いを巡らせ、今年は「スマートねんが」を使ってみました。

「新しい感じだね!」って返事をくれる人もいて、紙の年賀状みたいなタイムラグがなくて、これはこれで良いかもと思う一方で。

ただこれ、そもそも送れない(受け取らない設定になっている)人もいるし、こちらから送れても開けない(開かない)人もいるんですね。年始のLINEがいっぱい来る中で埋もれてしまうこともあるのかもしれません。

それに年始はみんな忙しいから、ゆっくりご挨拶を交わしている時間的ゆとりもないのかもしれないですね。

そして今年は元日から大きな地震で「あけましておめでとう」と言うのを躊躇う部分も少なからずあったでしょうし。

なんだか例年とは違う意味も加わり、心の重たい年賀状事情でした。

 

 年賀状に限らず、人の数だけ考え方があるから、正解も不正解もなく最適解もなかなか見つけようがない。

「人の心が、年の初めに届く国」ってこんなに難しいものだったっけ…

ただ晴れやかに、まっすぐに、心を届ける術、どなたかご教示ください。