前回、少しだけ触れたのですが。
今年、King & Princeに魅せられて久しぶりにCDを買いました。
その中で、好きな歌詞や心に響く歌詞にもたくさん出会いました。とても心満たされる時間でした。
ただ今回は前向きな話だけではありません。
11月に発売された「愛し生きること/MAGIC WORD」。
発売よりも前からサイトでLyricsが公開されていました。
「愛し生きること」を初めて読んだ時、すごく冷たい印象を受けました。
金属に触れた時のような、たやすく触れることを許してくれないようなそんな冷たさ。正直「愛し生きること」というタイトルと上手く繋げられませんでした。
歌詞の中に
皆それぞれが持ち寄った鏡の中を
ほら 何度も何度も反射して映った姿
本当は傷ついた背中 悟られないように
笑っていたのかな
というのがあります。
ここ、字面だけ目にした時、鋭利な物でスッと撫でるように切られた、そんな印象を受けました。
ちょうど当時の私は、自身の立ち居振る舞いに迷いがあって心が揺らいでいました。
だから余計に、必要以上に冷たく受け取ったのかもしれません。
「自身の姿を見失って、弱さがバレないように作り笑いをしている」のを見抜かれたように感じました。
これをキンプリが歌うのか、聴くの怖いな、とさえ思っていました。
ですが。
実際に楽曲を聴いて、最初の印象が良い意味で覆りました。
冷たくないさ孤独の雨も
という歌詞を読んでも、あんなに冷たく感じていたのに。
海人さんと廉さんの声で歌われるのを一曲を通して聴いて、
自分にも体温があるのを思い出して、ほっとして心がほぐれるのを感じました。
撫でるように切られた、と感じた歌詞が
「何度反射していても本来の姿は一つ。精一杯努めて笑っていることを知っている。それが分かるくらいの距離に人がいる。だから大丈夫」
とやわらかく包み込んでくれたように感じました。
変わり身の早さに我ながら呆れる部分もありますが…
「声」の力って大きいんですね。
そんなの分かっていたことのはずですが、今回改めて切実に感じました。
私は「言葉」の力を頼りにしている方だと思いますし、書かれた「ことのは」で救われた経験もたくさんあります。言葉の選び方が素敵な人に興味を惹かれることも多いです。
それでも、その「言の葉」を誰が発するか。どんなふうに届けようとしてくれるか。
それもまた大切な要素です。勝手に変なフィルターを掛けないように気をつけねばと思わされました。
そして最後に話は逸れて一つ疑問が。
作詞家作曲家の方々は、楽曲を提供なさる時に「誰が歌うのか」「どんな声なのか」「それが聞き手にどう届くのか」を全て見越していらっしゃるんでしょうか。
私みたいな身勝手な解釈をするのは特殊かもしれませんが、
でも歌う人によって聞こえ方が変わるというのはありうるよな、と。
その辺りも踏まえて十人十色の解釈で良いということなのでしょうか。
それとも、その辺りからプロモーションから何から何まで全部が戦略的に組み立てられて、「作品」として成り立つ色をゴールに設定しているのか。
それならそれこそ、「King & Princeチームの力、恐るべし」ですよね。