「二十九、三十」というクリープハイプさんの曲を、キンプリの二人が歌っていました。
NHK の『プレミセ』という番組の中で。
心を揺さぶられた、も、心に響いた、も、表現としてちょっと違うように感じるのですが。すごく近くで鐘を突かれたような、そんな感じです。
振動がどーんと来て、最初は衝撃が大きいように感じるけれど、でも心地良くて、余韻に浸っていたい。もう音が消えて空気も震えてないけど、体の中ではずっと響いてる。そんな感じ。
まず歌詞の持つ力が大きいですね。私は29、30からはだいぶ離れてしまったけれど、
余韻の中で、久しぶりに泣きました。
誰かがきっと見てるから
誰でもない誰かが言った
もうあんたでいいから見ててよ
そうだよなだから「誰か」か
現実を見て項垂れる
理想を聞いて呆れかえる
何と無く残ってみたものの
やっぱりもう居場所はない
心の中では漠然と抱えているけれど
実際には言えなくて、口に出したらそれを受け入れる以外の術がなくなるようで、
気づかないふりをしてきた事ごと。
「ふり」が出来るのが大人だなんて、当たり障りのない都合が良いだけの解釈。
そうだよな?そうだよね。。。
そんなふうに思わせてもらいました。
伝える気が全くなさそうな文章…伝わりませんね。笑
でも誤解を恐れずに言うと、「全員に同じように伝わらなくてもいいよ」とすら思わせてくれる、そんな度量の大きな歌詞だと感じました。
クリープハイプ、聞いたことはありましたが、聴いたことはありませんでした。
「ロック」というジャンルがなんとなく苦手というか。
正確には「ロック」の概念もよく分かっていないのに、ただの毛嫌いですよね。
というわけで、尾崎世界観さんの書く歌詞をちゃんと読んだこともなかったです。
それで今回、他のも読んでみて、曲もいくつか聴いてみました。
なんと言えば良いのか。おこがましいのを承知で言うと。
良い意味で、印象が定まらない。
定まらないことがかえって印象的。
まっすぐだけどひねくれている。
浅いような、かと思えば深い。
やさしいと思ったけれどすり抜けていく。
留めおきたい、一方で離れてほしくもあって。
おこがましい続きで言えば。
海人さんが「神」って言ってるの、納得しました。
「神」と捉えたではなくて、「海人さんが敬愛する」その事実にとても納得できました。
海人さんの書く文章や言葉の選び方に、どことなく通ずるものがあるように感じます。
まっすぐ簡潔だけど、溢れるものがある。
伝えたいことがあるからこそ、装飾を削ぎ落として色も塗らずに。
数多の推敲の跡や思いやりが透けて見えるような、ただひとつ。
色々と広げすぎて、収めどころを見失いましたが。
King & Princeの、永瀬廉さんと髙橋海人さんの歌う「二十九、三十」がとてつもなく良くて、心が掴まれて、そして満たされたこと。
「誰でもない誰か」だけど、私はきっと見ていようと思います。