巡り合わせるということ

森岡毅 著『苦しかったときの話をしようか』

 この本、出版されてから長い間、どこの書店でも大きく展開されていて、話題になっているのも知っていました。でも、なぜか手が伸びなかった。「今さら、働くことの本質…」「苦しい思いをしなくても…」とどこかで感じていたのかもしれません。

 

 数ヶ月前にある人と交わした、読んでよかった本に関する会話の中でも話題にのぼりました。その時は、何かがちょっと引っ掛かりました。

穏やかで平らかな彼の纏う空気と「苦しかったとき」のワードがかけ離れているような気がしたからです。とはいえ、それでも本に手は伸びなかった。

 この本を推した彼は、私の知る限りでは最も、自身の仕事に誇りと静かな熱量と高い志をもっている人です。

自身の仕事の話を、あんなに誇らしそうに、相手にとって熱すぎも冷たすぎもしない心地よい温度感を保って、語弊なく伝わる確かな言葉を選んで、まっすぐに届けられる人に私はこれまで出会ったことがありません。

話を聴いて心が洗われたし、胸が熱くなりました。変な話ですが、相槌すら上手くできずにただ聞いてるだけの私まで、泣きたくなるくらい誇らしい気持ちにしてもらいました。

あの空間を満たした「静かな残響」は容易く言葉にするのが許されないような、きっとこの先も鳴り止むことのない響きなのだと想います。

 仕事に誇りを持っている人はたくさんいます。溢れるほどの情熱をもっている人も知っています。かく言う私も仕事はそれなりに好きですし、その時々のやりがいを感じながら、自分なりに精一杯地道にやってきたつもりです。

ただ、だからと言って…それで人を惹きつけ魅了できるか、心を動かせるか、それはまた別の話です。

なぜ彼にはそれができるのか、彼の纏う穏やかで平らかな空気と仕事にかける静かな熱量やその志はどうやって共存するのか、ずっと不思議でした。

 

 しばらく経って11月の初め、ふとした拍子に本屋さんで目に留まり、今度は自ずと手を伸ばしていたのが『苦しかったときの話をしようか』です。

結論だけ言うと、私にとっては「今」読むべき本だったのだと感じました。過去何度も目にしながら食指が動かなかったけれど、それも「今」巡り合わせてもらうためだった。そんな気がします。

「私が就活をして社会に出る前に読んでいたら、私の進路やその後の働き方やキャリアが変わっていたかな?」と読みながら度々考えましたが、おそらくそんなに上手くは運ばなかっただろうと思い至りました。

私の歩みの遅さや瞬発力の低さは幼少期からで、20歳そこらの私が当時読んでも、きっと「自分事」に落とし込めなかったからです。

しかしながら、私が社会に出て早17年が経とうとしていますが…今さらなどと言わずに、パースペクティブの外側にも目を向けて広げて、改めて軸を探してさらに太くしてみたくなりました。華々しい経歴はないけど、地道に努めて経験を積んできた「今」だからこそ、やっと自分事に落とせる気がしています。

今にしてやっと手を伸ばした自分を少しは褒めてもいいかと思います。

 

 さて、本書を薦めてくれた彼の話に戻します。

不思議なことに、本書を手に取る前後1ヶ月ほどの間で、私が彼に関して抱いていた疑問も自ずと解けたように感じました。

穏やかさや平らかさは、水面下で揺れに揺れて、想像よりずっとずっと深い根底から掻き乱されるような事柄を経て、長い年月をかけた末にやっとのことで身についたもの。

彼が語る話が人を惹きつけ心を動かすのは、何度も何度も、深くさらに深くへと、角度を変え、立場を変え、時には痛みに耐え、傷を負っても実直に、繰り返してきた時間の層があるから。

穏やかさと苦しさはかけ離れていない。地続きにあって、だからこそ纏う空気は清らかになっていく。

 

 そして、何の脈絡もなく散らばっているように見えていた多くの点が、音もなく静かに繋がりだした時、奇妙な話ですが、私は初めて自分の心根に触れたようでした。

見ていないつもりもなかったけれど、でも、自身の心の底までどのくらいの深さがあるのか、考えたこともなかったですし、深く潜ると息ができなくなりそうで怖くて、程よいところを「心の底」と見做していたようにも思います。

 出逢い、巡り合わせ、ご縁、運命…

どれも好きな言葉で、どれも当てはまるようにも感じられますが、同時にどの言葉を使っても言い尽くせぬようにも、言葉で一滴も溢さず掬い取ろうなんて傲慢なようにも、感じています。

それでもあえて綴るのなら、彼に出逢えたから『苦しかったときの話をしようか』に手を伸ばせたし、本を読んだから疑問が解けたし、だからこそ自身の心根に触れる機会を得た。

「導いてもらえた」「気づかせてもらえた」「掬ってもらえた」

私自身の間の悪さを悔いることも、どれほどかも分からないくらいに周回遅れになっている状況への情けなさも、どこへぶつけたら良いのか判断できないやるせなさも、全部をひっくるめて「私は私」と認めて受け入れようと思わせてもらいました。

 

 「ここに書いて何になる」とも考えましたが、自戒を込めて綴りました。

巡った先でいつか誰かを、そして私自身を、そっと励ますことができますように。

祈るような気持ちを込めて…