そういえば昔から文章書くの好きでした

 初めての記事なので、ブログを始めたくなった理由を。

InstagramFacebookも好きだし、色んなアカウントを見るのはもちろん、自分で投稿したりもしてました。

でもいつからだろう。私の心持ちと何となく離れたように感じることが増えました。

そのうち気づいたんです。

私は文章が綴りたい、「ことのは」の力を頼りたい、と。

 

 昔から積極的に前に出られるタイプでもなければ、何をしても遅咲きで遅れをとるタイプ。私の気持ちが固まる頃には、周りは一歩どころじゃなくて何歩も先に行ってた。

でもそれを認めたくなかった。認めるだけの度量がなかった。

だから精一杯の背伸びをして、周りが与えてくれた「思いやりがある」「責任感が強い」「しっかり者」のポジションにしがみ付いた。

子供の頃は「演じる」という言葉を知らなかったというか、自身の言動と「演じる」を結びつける術を持たなかったんだと思います。

今にして思えば、の話ですが。

その良し悪しはさておき「演じながら」身につけたスキルもあっただろうし、かなり大人になった今は「演じられる」強さも身に染みています。

何なら演技が上手くなりたいとすら思う。欲張りです。

 

 そして、もう一つ今にして思えば。

文章を書くのは昔から好きでした。それがあのね帳であれ、読書感想文であれ、ただの作文であれ、小論文でも、お手紙でも。

よく褒めてもらえるのも「文章」でした。

文章を書くときは、わりと自分に素直にいられたように思います。

言葉を選んだり、推敲したりするけど、それはおそらく「演じる」とは別の「つくりあげる」ものだった。

だから文章や言葉選びを褒めてもらえるの、何よりも嬉しかったです。

だから「言葉」に興味を持って英語も好きになって、外国語大学に進んで、それなのに結局は「日本語教育」にのめり込んで、日本語の奥深さに気づき、改めて日本のことに目が向きました。

そして和菓子屋に就職して、早15年が経とうとしています。

 

 SNSの広がりと共に働いてきたこともあり。

どれだけ映えるか、どうやって見せるか(魅せるか)、視覚から味覚や記憶にどうつなげるか。そういうことを考えるのもすごく興味深くて、やりがいがあって。

そんな中、一方で。

私が昔から好きだった「文章」や「言の葉」にも、もう一度向き合いたいという気持ちが自ずと溢れました。

私がナチュラルにいられる場所。

格好つけすぎてる気もするし、そんな立派な理由だけでもないのですが…

これからゆるりと書き綴ります。